五重塔、三重塔をめぐる「塔に魅せられて(中部日本篇)」での滋賀県の旅で最初に訪れるのは、中山道の柏原宿であることは、きのう書きました。
柏原(かしわばら)宿は、旧山東(さんとう)町、現在の米原市柏原に当たります。かつては、背後に聳える伊吹山で採れる、もぐさを売る店が並んでいたといわれます。国道21号線の北側にある旧中山道は、現在でも宿場町としての名残をとどめており、古い構えの、もぐさ屋も残っている風情のある道です。「柏原宿の西北十町余の所に清滝という集落」(児玉幸多著「中山道を歩く」)がありますが、そこに、目指す清滝寺(きよたきでら)こと、徳源院(とくげんいん)があります。私は、この寺を三度訪れていますが、最初の訪れは昭和61年11月10日の紅葉が真っ盛りの時で、黄や朱で織りなされた絨毯の上を歩むような感触が、未だに足裏に残っている気さえします。
砦のような石積みの塀に沿って短い参道を進みますと、「史跡 清滝寺 京極家墓所」と彫られた大きな石柱が立っていますが、そこが境内への入口です・境内はさほど広くはなく、左手にある三重塔を除けば、これといって見るべきものもありませんが、宇多源氏の系譜に繋がる戦国の名家である佐々木京極氏の菩提寺だけあって、何とも言えない風格、気品が感じられます。佐々木氏と言えば、ばさら大名として知られる道誉(どうよ)が想い浮かびますが、林屋辰三郎著「佐々木道誉」という書には、「室町末期に創建された三重塔があるが、寛文十二年(一六七三)に旧規によって再建されたという」とあり、三重塔は滋賀県の文化財に指定されています。
ところで、この寺を訪れたならば、見逃してはならないものがあります。それは京極家歴代の墓で、道誉の墓もあり、関ヶ原の戦いの時、大津城主で、徳川方につき戦功をあげ、後に若狭小浜藩主となった京極高次(たかつぐ)の墓もあります。かなり以前に読んだので、うろ覚えではありますが、井上靖の小説「淀どの日記」では、後の淀君が浅井家に嫁ぐ前、高次と恋仲だったという設定になっていました。事実だとすれば、高次が徳川方についたというのも、皮肉な巡り合わせではないでしょうか。それはさて措き、殆どの墓が宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、鎌倉時代から江戸時代に至るまでの宝篋印塔の変化の様が見られ、さながら宝篋印塔の博物館のようです。
さて、中山道の柏原宿の次の宿場は醒井(さめがい)宿で、ここにもご紹介したところがありますが、塔とは関係ないので省略します。次いで番場(ばんば)宿と続きますが、明日は琵琶湖に出て遊覧船に乗らねばなりませんので、今日は長浜泊まりとしたいと思います。
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ところで、だいぶ寒くなってきましたね。そして、この時期は空気が乾燥しますが、この時期ならずとも
乾燥肌に悩まされている方もおられるのではないでしょうか。そんな方は、こちら ↓ など如何でしょう。


さて、前に
アンケートに答えることにより、自分の意見を、いろいろなことに反映させることを提案いたしましたが、モニターになるには、どうしたらよいのか、と思っておられる方もいることでしょう。その一つとして、こちら ↓ を、ここ暫くの間、併せてご紹介することとします。
posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 16:45|
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