五重塔、三重塔をめぐる紀州路の旅も、いよいよ最後となります。
大森貝塚の発見者で知られるE・S・モースが著した「日本のその日その日」には、次のような一節があります。
和歌山への旅は興味深々たるものであった。八月三十一日、我々は和歌山を立って奈良へ向かった。最も美しい谷間を、二日にわたって人力車で行くのであった。我々の日本の旅で、ここ程魅力に富んだいい景色の多い所は他に無かった。 これから先の旅は、モースが辿った道をなぞるような恰好になりますが、詳しいことは省略し、私が訪れた所を列挙することにします。
●上野(うえの)廃寺跡(国史跡・和歌山市)――ここには立派な塔心礎がありますが、案内者がいないと判らない所にありますので省きます。
●山口(やまぐち)廃寺跡(県史跡・和歌山市)――上野廃寺跡の近くですが、探し当てるのには苦労するかもしれません。
●根来寺(ねごろじ)――木造の塔としては、わが国最大最古のものと言われる高野山の 旧大塔形式を伝える根本大塔(国宝・岩出市)は見応えがあり、根来衆と呼ばれ戦国時代に活躍した僧兵集団のことや、鉄砲伝来と根来寺のことなどに思いを馳せながら訪れるのも一興でしょう。
●西国分(にしこくぶ)廃寺跡(国史跡・岩出市)――ここに残されている塔心礎ほ、実に美しいものです。
●紀伊国分寺跡(国史跡・紀の川市)――塔後は、心礎ほか、総ての礎石が殆ど旧状を保っている、貴重な国分寺跡です。
●打田町(うちだちょう)歴史民俗資料館――ここには、紀伊国分寺の想定伽藍模型が展示されています。(なお、打田町歴史民俗資料館としましたが、紀の川市歴史民俗資料館となっているかもしれません。いずれにせよ、紀伊国分寺跡に隣接してあります)
●長田観音寺(ながたかんのんじ)――昭和36年に倒壊したという三重塔の再建が計画されましたが、未だに実現したとは聞き及んでいません。
●粉河寺(こかわでら)――西国三十三観音霊場第3番の札所です。
●神野々(このの)廃寺跡(県史跡・橋本市)――三重塔であったと言われる美しい塔心礎があります。
●高野山――ここは何の説明もいらないでしょう。ここで私が拝観した塔は5基あります。すなわち、壇上(だんじょう)伽藍と呼ばれている所にある鉄器コンクリート製の根本大塔、西塔(多宝塔)、東塔(多宝塔)、金剛三昧院(こんごうさんまいいん)の多宝塔(国宝)、金輪塔(多宝塔)ですが、言うまでもなく、金剛三昧院のものが最も美しい建物です。しかし、ここに脚を運ぶ人は少ないようです。
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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 17:00|
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