この塔は他の塔にくらべてきわめて大きい。しかし高さはそれに伴わないので全体にずんぐりした感じになり、塔に欲しいスマートさに欠ける。案内板に「一名多宝塔、輪蔵という建て方、釈迦一代の説法五〇四八巻の経文を納む」と書かれているように、塔の広い内部は八角の輪蔵になっている。(中略)
……四隅は丸い柱だが、他は角柱というのも変わっている。(中略)水煙の上下に

まさにそのとおりの塔で、「兵庫県の歴史散歩(下)」には多宝塔とあります。それは写真をご覧いただいた方が早いでしょうから、こちらを ↓ ご覧ください。
http://www.geocities.jp/stupacaitya/genson/28hyougo/kougen3/kougen3.html
ところで、拙著「塔に魅せられて」(近畿・岡山篇)では、誤ったことを書いてしまいました。それは、この三重塔が県文に指定されていると書いたことですが、それは同好の方が書かれていることを鵜呑み(と書いては、その方に失礼になるかもしれませんが)にした結果です。掲載させていただいた写真の説明には、そのような記載がありませんので改めて調べてみましたが、同好の方の思い違いであったようです。しかし、理由はどうであれ、自分が書いたものには自分で責任を取らなければなりません。といっても、今となっては責任の取りようがないのですが。
さて、五重塔、三重塔をめぐる旅は但馬国へ向かうことになりますが、私は丹波国で塔跡を訪れています。ただ詳しいことは省き、それがJR福知山線で柏原駅から4駅ほど北へ行った市島(いちじま)駅から遠くない所にある白鳳時代の三ツ塚(みつづか)廃寺跡(国史跡)の塔跡(地下式の塔心礎が遺っています)であることだけ書くに止めます。