五重塔、三重塔をめぐる備前の旅の二つ目の塔は、大滝山(おおたきやま)の三重塔ですが、ちょっと面倒なことがあります。と言いますのは、文化庁監修の「重要文化財」、小学館発行の「探訪日本の古寺」、現地に備前市教育委員会により立てられていた説明板には「大滝山三重塔」とあり、塔に関する我が師、中西亨先生の「塔の旅」では「福生寺(大滝山)三重塔」とあり、また同先生の「日本塔総鑑」では「福生寺」の下に括弧書きで「大滝山 福寿院外二か院」とあり、更に「岡山県の歴史散歩」では「大滝山福生寺(真言宗)」と寺の名を記し、その寺の三重塔としているからです。拙著「塔に魅せられて」(近畿・岡山篇)では「大滝山三重塔」としましたが、ここでもそうすることとします。ちなみに、現地の説明板には、次のように記されていました。
元禄十四年(一七〇一)に書かれた縁起書には「鑑真和尚が大滝山を修業の道場とし、報恩大師が備前四八か寺を整備するにあたり、その一つに加えられ、後年真言宗に属した。その後、万寿元年(一〇二四)に全焼したが、観応年間(一三五〇〜一三五二)に足利尊氏の発願により再興され、一時は、三三寺坊を数えた。」とある。(ルビは省略)
要は、山号か寺号のどちらを採るかの違いとも言えますが、これ以上の詮索は止めましょう。
さて、伊部の町並みを後にして少し行きますと、大内という地名が眼に入ってきますが、同時に福生寺への標識も見えてきます。標識に従って信号を右折、山陽新幹線の高架をくぐり、山手の方へ車を進めますと程なく地蔵堂に至ります。山道を更に登って行きますと道が二股に岐かれる左手に、現在の伽藍の中心部があります。目指す三重塔は、更に行き、江戸末期までは宝寿院や本命院があったという辺りに車を置いて、細い山道を少し登らなければなりませんが、三重塔については明日のこととします。
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