2008年05月25日

二つ目の立ち寄りは、塔跡です。

 ちょっと一段落しましたので、久しぶりに連日の書き込みになります。というより、昨日のような恰好になっているブログも、先ほど書いたのですが、認知症の兆しでしょうか、日付を間違えてしまいました。

 それはさて措き、五重塔、三重塔をめぐる旅日記としては脇道に逸れての二つ目は、幻の塔(塔跡)になります。
 安住院を後にして、国道2号線に戻り、更に北東へ進みます。やがて百間川に架かる百間川橋を渡りますが、その先の交差点で国道から逸れて、左に道を採ります。暫く行きますとJR山陽本線の高島駅(岡山駅から上り線の一つ目の駅)に至りますが、目指す幡多(はた)廃寺塔跡は、その手前で右へ折れなければなりません。岩井隆次著「日本の木造塔跡」には、「岡山市の東部、もとの上道郡幡多村大字赤田、現在岡山市幡多にあり」(ルビ省略)とありますが、ただ所在地だけを示している小さな地図を頼りにしての訪れでしたので、やっとの思いで辿り着きました。この辺りは新興住宅地といった感じで、道を尋ねても、「最近こちらに来たばかりで」という応えが殆どだったのです。高島駅から歩いても行ける距離ですので、駅で聞けば判るかもしれません。
 さて、その幡多廃寺塔跡(国指定史跡)ですが、田圃の中にポツンと塔の心礎が置かれているでけです。現地に、岡山市教育委員会により立てられていた説明板に書かれていた内容を、拾い読みしてみます。

 水田の高まりの真中に残っている巨石は、古代寺跡の塔の心礎で、県下では最大の大きさである。(中略)
 昭和四十七年、四十八年度に塔心礎を中心として発掘調査が行われ、回廊・築地・塔・講堂・南大門・中門・北門等の基礎とみられる遺構が検出され、寺域が一町四方より大規模であったことも判明した。(中略)
 出土瓦からこの寺院跡は白鳳時代末頃(七世紀末)に創建され、奈良時代(八世紀)に最盛期があり、平安時代後葉(十一世紀頃)に廃絶したことも判明した。最盛期の寺院の様相は奈良の都のそれに遜色ないと推定されている。

☆       ☆       ☆

 5月も、もう1週間で終わりですね。6月の15日は「父の日」ですが、私事ながら、私の父は戦死でしたので、私は殆ど父の記憶もなく育ちました。お父上がご健在の方は、是非、こちらで ↓ プレゼントを検討して、「父の日}を祝って上げてください。


posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月24日

ちょっと脇道に逸れて、安住院へ

 また、1週間が過ぎてしまいました。

 五重塔、三重塔をめぐる旅としては、ここでちょっと脇道に逸れて、2ヶ所ほど立ち寄っていきたいと思います。
 今日は、その一つ目ですが、それは安住院の多宝塔です。これまで辿ってきた道筋からしますと、県道を更に岡山市の中心部へ向かい、国道2号線に出たら、右折します。少し行きますと、安住院への案内標識が出てきますので、それに従い車を進めますと、寺の門前に至ります。この寺を訪れたのは理由があるのですが、それは、内田百閨iひゃっけん)の「第一阿房列車(鹿児島阿房列車)」に、次のような一節があるのを読んでいたからです。

 車窓の左手の向うに見える東山の山腹の中に、私はさっきから瓶井の塔を探しているが、間に夏霞が罩めて、辺りがぼんやりしている所為か、見つからない。子供の時いつも眺めて育った塔だから、岡山を通る時は一目でも見たい。瓶井と云うのは、本当は「みかい」なのだが、だれもそうは云わない。訛りなりに、「にかい」の塔と云うのが固有名詞になっている。(中略)
 旭川の鉄橋に掛かる前、やっと霞の奥に塔の影を見つけた。(ルビ省略)

 私は、これを読んだ時から、「瓶井の塔」が気になって仕方がなかったのですが、よくよく調べて、やっとそれが瓶井山禅光寺安住院の多宝塔(県文化)のことであることが判りました。
 ところで、多宝塔は寺の境内にはなく、門より少し先に行った所から右手の山道を、5分ほど登った所にあります。

☆       ☆       ☆
 
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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月17日

鉄条網に囲まれて建つ三重塔

 また、10日ほどが過ぎてしまいました。ご訪問いただいたブロガーの方々には、申し訳なく思っております。

 さて、目指す曹源寺の三重塔は、前に書きました山道の途中で左に折れ、更に細い道を登り、生い茂る雑草に覆われた数段の石段を登った先に、鉄条網に囲まれて建っていました。柵に囲われて建っている五重塔や三重塔はありますが、鉄条網というのは初めてでした。中心伽藍から離れて建っているので、文化財を護るためには、やむを得ないことかもしれませんが、このような防御措置を講じなければならないところに、現在の日本国民の文化財に対する意識の反映を見るようで、何とも殺伐とした思いになりました。そんな状態ですから、近くに寄って三重塔の細部を見ることもできず、周囲に空地もなく、おまけに樹木が茂っていましたので、三重塔の観賞にも甚だ具合が悪いし、写真撮影も思うようにいきませんでした。このブログでは、お二人の塔愛好家の方から写真の提供を受けておりますが、お二方のご苦労が推測される写真であり、その中でも、こちらが ↓ 比較的、三重塔の姿を捉えていると思います。

http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2008to/b_sogenji13.jpg

 そんなことでありましたので、平成10年11月28日に再訪しましたが、この時は修理の最中のようで、鉄条網の扉の錠も外されていましたので、三重塔の近くに寄って初層の内部なども拝観することができました。この時は、三重塔もさることながら、紅葉の真っ盛りで、素晴らしい秋景色を堪能することができました。その秋景色を観賞するには、やはり庭園が良いと思いますが、「岡谷県の歴史散歩」には、次のように記されています。

 ……表書院の東側に、後ろの山を巧妙に取り入れた池泉回遊式の庭園がある。これは曹源寺の開山顔1外和尚と津田永忠の合作と伝えられ、蒼味をたたえた池に緑の影を落とした眺めはよく、雨の日の庭はまた格別である。伽藍の後ろに、池田綱政夫妻をはじめ歴代藩主とその一族の墓が並んでおり、大名墓のりっぱさに心を奪われる。さらにその後ろの山上に三重塔が建っている。(ルビ省略)

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月06日

備前国で六番目に訪れる塔

 五重塔、三重塔をめぐる旅日記も、とびとびになってしまっていますが、備前国で六番目に訪れます塔は、曹源寺の三重塔です。五番目に訪れました西大寺から近いので、そこからの道を辿りますが、県道28号線(岡山牛窓線)まで戻り、岡山市の中心部へ向かいます。車ならば10分も要しなかったと思いますが、右手に曹源寺への案内標識が出てきます。そして、曹源寺口とある信号で右折しますと、もう、そこは曹源寺への参道になり、車を進めますと、入口の門の右手に、何台か駐められる駐車スペースがあります。
 まず、この寺の由緒について見ることとしますが、中西亨先生の「日本塔総鑑」」には、次のように記されています。

 曹源寺(そうげんじ)は、岡山市街から東山の峠をこえた円山にある臨済宗妙心寺派の巨刹で、地方には珍しく禅宗風の七堂伽藍の揃った大寺院である。池田綱政候が父光政候の菩提を弔うため元禄十一年(一六九八)に建立したもので、児島の永昌庵を移したという。現在も総門・三門・本堂・浴室・鐘楼・開山堂・方丈など二十余棟の建築が左右対称に見事に配置された昔の姿を伝えており、県の史跡に指定されている。又庭園も立派なもので津田永忠の作といわれる。この伽藍の後の山上に三重塔が立つ。禅宗伽藍には塔はないのが普通だが、少し離れた丘上などに聳えている例は中国地方には特に多い。この塔は元禄当初にはなかったようで、江戸後期の建立である。

 私は三重塔への登り口を探したのですが、これといった案内板も見当たりませんでした。たまたま外国人の修行僧らしい人が通りかかりましたので、禅の修行をしている人ならば日本語を理解して貰えるだろうと思い尋ねましたところ、「サンジュウノトウ?」と首を傾げました。私が思わず「タワー」と言いますと、その人は微笑を浮かべ、手真似で仏殿の左手の山道を登って行けばよいと教えてくれました。私は頭を下げることにより礼を示し、山道を登ったのですが、距離は大したことはありませんものの、かなり急勾配の道でした。三重塔の拝観を目的の一つとして曹源寺を訪れる場合は、脚ごしらえが必須で、ハイヒールなどでは難しいでしょう。
 続きは明日、ということにしますが、果たして、明日、書けますかどうか。

☆       ☆       ☆

 さて、母の日が近づいてきましたね。母の日といえば、お花ですね。私の母は20年ほども前に逝去しましたが、お母さんが健在の方は、花急便など如何ですか。であれば、こちらを ↓ どうぞ。


posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月03日

二度訪れた西大寺の三重塔

 五重塔、三重塔を訪れる旅日記も、本来の目的の三重塔の拝観となります。その三重塔のある西大寺は、数日前に見たとおり、かつては多数の塔頭があったようですが、今は観音院しか残っていないため、「岡山県の歴史散歩」では、「西大寺観音院」としています。
 それはさて措き、この三重塔は二度拝観していますが、一度目は生憎なことに葬儀が行われており、三重塔の周囲には十数本の花輪が立て並べられていました。寺で葬儀が行われるのは当たり前のことですから、花輪を邪魔者扱いするのは間違いですが、正直言って、スッキリとした状態で三重塔の写真を撮れず、再訪ということになったのです。
 その三重塔については、やはり写真で見ていただいた方が良いと思いますので、こちらを ↓ どうぞ。

http://www.geocities.jp/stupacaitya/genson/33okayama/kannon3/kannon3.html

 三重塔の背後の建物は、仁王門です。そして、上に書いたこととの関連でいいますと、この写真の提供者は、塔頭名の観音院を優先しています。
 ところで、再訪の時は、マイカーではなく、公共交通機関での訪れでした。岡山駅からバス利用ですが、終点の西大寺バスターミナルで下車し、閑静な住宅街といったところを、ゆっくり歩いて10分ほどで西大寺の門前に辿り着きます。こうして歩いて訪れるのも、また良いものでした。そして帰りは、JR赤穂線の西大寺駅まで歩いて行き、岡山駅へ戻ったのでしたが、これまたマイカーでの旅では味わえない旅情がありました。

☆       ☆       ☆

 さて、とびとびになってしまっていますが、今日は土曜日ですので、こちらを ↓ どうぞ。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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