それはさて措き、五重塔、三重塔をめぐる旅日記としては脇道に逸れての二つ目は、幻の塔(塔跡)になります。
安住院を後にして、国道2号線に戻り、更に北東へ進みます。やがて百間川に架かる百間川橋を渡りますが、その先の交差点で国道から逸れて、左に道を採ります。暫く行きますとJR山陽本線の高島駅(岡山駅から上り線の一つ目の駅)に至りますが、目指す幡多(はた)廃寺塔跡は、その手前で右へ折れなければなりません。岩井隆次著「日本の木造塔跡」には、「岡山市の東部、もとの上道郡幡多村大字赤田、現在岡山市幡多にあり」(ルビ省略)とありますが、ただ所在地だけを示している小さな地図を頼りにしての訪れでしたので、やっとの思いで辿り着きました。この辺りは新興住宅地といった感じで、道を尋ねても、「最近こちらに来たばかりで」という応えが殆どだったのです。高島駅から歩いても行ける距離ですので、駅で聞けば判るかもしれません。
さて、その幡多廃寺塔跡(国指定史跡)ですが、田圃の中にポツンと塔の心礎が置かれているでけです。現地に、岡山市教育委員会により立てられていた説明板に書かれていた内容を、拾い読みしてみます。
水田の高まりの真中に残っている巨石は、古代寺跡の塔の心礎で、県下では最大の大きさである。(中略)
昭和四十七年、四十八年度に塔心礎を中心として発掘調査が行われ、回廊・築地・塔・講堂・南大門・中門・北門等の基礎とみられる遺構が検出され、寺域が一町四方より大規模であったことも判明した。(中略)
出土瓦からこの寺院跡は白鳳時代末頃(七世紀末)に創建され、奈良時代(八世紀)に最盛期があり、平安時代後葉(十一世紀頃)に廃絶したことも判明した。最盛期の寺院の様相は奈良の都のそれに遜色ないと推定されている。
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5月も、もう1週間で終わりですね。6月の15日は「父の日」ですが、私事ながら、私の父は戦死でしたので、私は殆ど父の記憶もなく育ちました。お父上がご健在の方は、是非、こちらで ↓ プレゼントを検討して、「父の日}を祝って上げてください。
