現存する木造の塔を大別しますと、極く特殊なものを除き、
五重塔、三重塔、多宝塔の三種で、五重塔、三重塔は多層塔と呼ばれますが、多宝塔は二重の塔で、ちょっと違います。私は、多宝塔が嫌いというわけではありませんが、多層塔は数も多く、それまで含めてということになると、とても無理ですので、拙著「塔に魅せられて」では、五重塔、三重塔に限定しました。ただ、多層塔めぐりの旅の道筋にある場合、できるだけ多宝塔も訪れ、石造の塔も訪ね、更に塔跡なども訪ねておりますことは、これまでの旅日記で、お解りいただいていることでしょう。そして、これまでは端折ったこともありますが、拙著「塔に魅せられて(西日本篇)」の原稿ベースとなりましたこれからは、丁寧になぞっていくこととしたいと思います。
そこで今日は、実際の旅のコースとは前後しますが、西国寺より先に訪れた浄土寺について書くこととします。ところで、尾道の観光コースの一つに「古寺めぐりコース」がありますが、それは、JTB発行「新日本ガイド(山陽―瀬戸内海)」に拠りますと、尾道駅を起点として、持光寺〜光明寺〜天寧寺〜福善寺〜西国寺〜西郷寺〜浄土寺〜海竜寺と辿る、巡延長2・8q、所要約3時間のコースのようです。千光寺ロープウェイで山麓駅まで降った私は、上のコースにある幾つかの寺を拾い歩いたのですが、この時は浄土寺は省略しました。
浄土寺を訪れたのは、西国寺を最初に訪れた平成12年6月24日のことです。浄土寺について、「広島県の歴史散歩」には次のように帰されています。
本堂(国宝)は1327(嘉暦2)年に尾道の商人とみられる沙弥道
・比丘尼道性が発願し、大工藤原友国・同国貞が建築したもので、桁行五間・梁間五間の規模、前面二間通りを外陣とし、後ろを内陣とする。和様を基調とするが桟唐戸・花肘木などを用いた折衷様である。多宝塔(国宝)は1329(元徳元)年の再建で全体のバランスがとれ、華麗な装飾に富んだ三間塔婆である。(ルビ省略) このほか、1345(康永4)年の再建という阿弥陀堂(国重文)、室町初期を下らないであろうという山門(国重文)、豊臣秀吉が桃山城内に建てた茶室燕庵を移したものと伝えるという露滴庵(国重文)などがあります。これだけを見ても、見応えのある堂塔の立ち並ぶ大寺であることが、お解りいただけましょう。
ところで、些細なことでありますが、右の引用文中に気になる記述があります。それは、多宝塔について「三間塔婆」と記されていることです。同じく塔とはいえ、層塔と多宝塔では、その起源が全く異なり、多宝塔については「塔婆」とは言わないのではないかということです。毎日新聞社刊、文化庁監修の「重要文化財」でも、三重塔や五重塔については「○間塔婆」としていますが、多宝塔には「塔婆」という字句は使用していません。
それはさて措き、美しい多宝塔ですので、こちらの写真を、 ↓ ご覧ください。
http://www.geocities.jp/stupacaitya/genson/34hiroshima/jyoudo2/jyoudo2.html☆ ☆ ☆
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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 01:23|
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