それはさて措き、この寺の伽藍については、中西亨先生の「続・塔の旅」に眼を通すこととします。
本山寺(「もとやまじ」とよみ、「ほんざんじ」とはよまない)は四国でも屈指の名刹で、今も多くの伽藍を擁し、大寺の風格がある。寺伝によると大同二年(八〇七)、平城天皇の勅願により弘法大師空海が建立されたという。古くから大伽藍が軒をつらねていたようで、今ある本堂は鎌倉後期の正安二年(一三〇〇)の建立で国宝に指定されている。又山門は八脚門で同じ鎌倉後期の建立とされ、こちらは重文になっている。
この寺を3度も訪れたましたのは、改めて書くまでもなく五重塔があるからですが、ここでは五重塔よりも本堂の方が見応えがありまう。私は唐招提寺の金堂が、塔を別にすれば最も好きな寺院建築物でうが、それにもどこか趣が似た素晴らしい建物であります。以前にも見た「国宝日和――瀬戸内海の旅――」には、「鎌倉の建物はどれもけれん味がなくていい。瓦屋根の、いくらか反りを持った、過不足のない、ゆるやかな曲線、それを支える柱も、柱間のとり方も、蟇股も、蔀戸の按配も、いかにも安定している」と記されています。その本堂を中心とした境内も、ゆったりとしていて、心やすまる環境です。
五重塔について、中西亨先生の「続・塔の旅」をには、次のように記されています。
ここの塔は、創建後まもなくの大同四年(八〇九)に弘法大師によって建立され、天暦二年(九四八)に修理があったと伝えている。以後の変遷は明らかでないが、なんらかの形で塔はずっと伝えられたようで、今の塔は明治四十三年の建立だが、その前の塔の旧材を集めて建てたという塔堂が今も現存している。
さて現在の五重塔は明治二十七年頃から計画されたらしい。その時の勧進書が私の手許にある(中略)。この勧進書によって寄進が集まったようで、塔は明治四十三年(一九一〇)に完成したが、その時の記念写真のエハガキ(袋入)も手許に存している。(中略)
塔は五重であるが、明治期の塔の常だろうがきわめて細長く、不安定な感じである。三重塔にしたら或いはもっといい形になるのかもしれない。相輪部が短く、各層の軸部はかなり高い。
五重塔については、こちらの写真を ↓ ご覧ください。
http://www.geocities.jp/stupacaitya/genson/37kagawa/motoyama5/motoyama5.html
なお、蛇足ながら、私が訪れた頃の本山寺の所在地は、三豊郡豊中町でありましたが、平成18年1月1日の7町合併により、三豊市豊中町本山甲1445となっています。
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