
「日蓮宗藤田山成就寺は……奈良時代の天平勝宝年間(七二九―七四九年)報恩大師摩詞上人によって創建された。報恩大師は養老二年(七一八)現在の岡山市芳賀に生まれ、十五才で出家し芳賀坊と称した。備前備中の山で山岳修行にはげみ、特に法華経寺(今の日応寺)に入り修行を重ねた」。そして、天平勝宝四年(七五二)に孝謙天皇の病いを平癒したということは前にも書きましたが、「孝謙天皇は芳賀坊の法力に感謝し『報恩大師』という名を授け『摩詞上人』という号を賜った。更にその恩賞を尋ねられ、報恩大師は『我が生国に四十八ヶ寺の精舎を建立せん事を奉請す』と、即座に勅許があり、其の建立に着手しやがて成就完遂した。而して藤田山成就寺は、其の四十八ヶ寺の一にして最期に大願成就したる道場を以て成就寺と称す」ことになったといいます。そして「当初は天台宗の寺院として山上伽藍を整え、山岳佛教の先鞭を着け、五重宝塔が聳え」ていたといいます。今は三重塔ですが、創建の頃は、五重塔であったことが、これによって解ります。しかし、「不幸にして明和三年(一七六六年)成就寺は、仁王門を残して堂舎のことごとくを焼失してしまった。現存する建物はすべてこの時以降に再建されたもの」であるとのことです。そんなわけで、三重塔の他には特に見るべき建物などはありませんが、私にとっては、それで十分で、長閑な山里の塔のある風景として、最初の訪れの時から、印象深い寺でした。
三重塔については、明日(?)書くこととします。
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