2008年10月10日

四国の塔めぐり(プロローグその3)

 四国での五重塔、三重塔をめぐる旅は、なかなか層塔のある寺へ行き着きません。今日も、寄り道の旅です。

 霊山寺を後にした私は第2番札所へ向かったのですが、その途中、撫養街道を少し西へ行った先で標識に従い右折し、ドイツ館に立ち寄りました。と記しましたが、実際に訪れましたのは、平成15年の旅の最終日(5月4日)のことでした。
 鳴門市大麻(おおあさ)町板東に所在するドイツ館について、「徳島県の歴史散歩」には、次のように記されています。

 ……第1次世界大戦の際、中国の青島(チンタオ)で捕虜となったドイツ兵およそ1000人が大麻山麓のこの地に収容されていたが、敵味方を超えた人間愛と友情が住民との間に芽生え、ドイツ文化の数々が板東の住民に伝えられた。(中略)
 また、音楽好きの彼らは楽団をつくり、民家の軒先を借りた急ごしらえの野外ステージで、ベートーヴェンの第九を演奏したり、近くの霊山寺(りょうぜんじ)の境内で絵などの展覧会などを開いたりした。第九の演奏は本邦初演といわれている。(ルビは括弧で表記)

 同書には、続けて「こうした背景を記念し、日独親善友好のかけ橋として市立ドイツ館が建設され、1972(昭和47)年5月に落成したが、手狭になったので、1993(平成5)年10月に隣に新館を建設した」とあります。
 次いで訪れた大麻比古(おおあさひこ)神社の境内には、ドイツ兵が造ったというドイツ橋やメガネ橋があり、雰囲気が感じられる神社でありました。
 大麻比古神社を後にした私は、第2番札所の日照山極楽寺(高野山真言宗)へ向かいましたが、記すべきことは何もありません。
 次いで私は、第3番札所の亀光山金泉寺(こんせんじ、高野山真言宗)へ向かいました。この寺には多宝塔がありますが、建立されたのは平成になってからで、コンクリートづくりで一部木造といいます。そして、多宝塔は本堂の裏に、うっかりすると見過ごしてしまうかもしれない状態で建てられています。
 第4番の黒巖山大日寺(だいにちじ、東寺真言宗)、第5番の無尽山地蔵寺(真言宗御室派)についても記すべきことは何もなく、板野郡上板町引野所在の第6番の温泉山安楽寺(高野山真言宗)も同様ですが、この寺には、その後、多宝塔が建てられました。この多宝塔はコンクリート造でありますが、形容は本格的なもので、なかなか美しいものでありました。
 第7番の光明山十楽寺(高野山真言宗)についても記すべきことはありませんが、次いで訪れた、今は阿波市となっている、旧板野郡土成町所在の第8番札所普明山熊谷寺(くまたにじ、高野山真言宗)には、1687(貞享4)年の建立といわれる仁王門(県文化)があり、様式が古く豪壮な点で、四国霊場中随一といわれているものです。なお、熊谷寺の読みについては宮崎忍勝・原田是宏共著「四国八十八所遍路」に拠りましたが、「徳島県の歴史散歩」では「くまだにじ」とルビが付されています。
 そして、境内に脚を踏み入れますと、すぐ眼に入ってきますのが安永3年(1774)建立という多宝塔で、吉野川市の指定有形文化財となっています。四国には古い多宝塔はなく、この塔が最も古く、香川県綾歌郡飯山町(現在は坂出市に合併されています)にある三谷寺の多宝塔が次いで古いようですが、私は拝観していません。なお、「続・塔の旅」には、熊谷寺の多宝塔は、「先年までかなりいたみがみられたが、昭和五十五年から六年にかけて改修され、美しい姿に生まれ変り、巡礼の人々を迎えてくれる」とあります。
 第9番札所の正覚山法輪寺(高野山真言宗)は、本尊が釈迦如来涅槃像ということで珍しいのですが、他に見るべきものはありませんでした。

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 昨日は食欲の秋で食べ過ぎた時の対策(?)をご紹介しましたが、今日は、食欲の秋に役立つと思われます情報を、お知らせします。お馴染みの「ぐるなび食市場」ですが、こちらを ↓ どうぞ。


posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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