時を確認しますと、平成15年4月28日のことになりますが、国民宿舎「むろと」を出発した私は、室戸スカイラインを降りて、平成7年のときにはとばした第25番札所の宝珠山津照寺(しんしょうじ、真言宗豊山派)を訪れました。急な石段を息を弾ませての訪れでありましたが、見るべきものはありませんでした。
津照寺を後にした私は、「高知県の歴史散歩」に、「ウミガメの産卵地で知られる元海岸から行当(ぎょうど)岬の山上へ2qほど上ると標高160mの景勝地に」(ルビは括弧で表記)ある、と記されています第26番札所の龍頭山金剛頂寺(こんごうちょうじ、真言宗豊山派)へ向かいました。この寺へは平成7年にも訪れていますが、再訪したのです。上の書に拠りますと、この寺には、県下最古という銅像観音菩薩立像(国重文)や木造阿弥陀如来坐像(国重文)、そして朝鮮鐘(国重文)などがあるようですが、私は2度の訪れの時も時間の余裕がないまま、その拝観は省略してしまいました。
金剛頂寺を辞した私は、国道55線を北西に向かいましたが、行当岬の少し先で、私は思いがけなくも、素晴らしい町並み散策をすることができました。
国道を駆しっていて、左手の海岸の方に眼をやりますと、なにやら看板が立てられていました。私は後続車を確認したうえでブレーキを踏み道路脇に車を駐め、その看板まで行ってみました。その看板は、室戸市教育委員会によって立てられたもので、「吉良川の町なみ」と大書されており、「室戸市吉良川町重要伝統的建造物群保存地区」ともありました。その看板に拠りますと、平成9年10月31日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたとのことであり、平成7年の旅の時は、まだ選定されていなかったのです。その古い町並みは、国道から一筋、山側に入った所にあります。この旅日記の目的からは逸れますので多くは書きませんが、町並みの中にある「町並み館」で貰った「土佐東方見聞録 散策マップ―白壁と水切り瓦の町―吉良川編」には、「吉良川の歴史」として、「吉良川の主要な産品には近世から木炭と薪があり、特に明治期から昭和初期にかけて、良質の木炭の集積の地として繁栄しました。吉良川の伝統的建造物群の多数がこの時期に建築されており、現在の吉良川町の町並みは近代の経済的繁栄を背景に形成されました」と記されています。
そして、吉良川町の集落は下町地区と上町地区で構成されているといいますが、「下町地区には旧土佐街道の両側に切妻造りの町家が建ち並び、強い風雨から土佐漆喰の壁面を守る水切り瓦が美しい伝統的建築の町並み」が、「上町地区では、江戸時代中期頃の方形に近い農家型の地割りで、周囲にいしぐろを巡らせ、上町地区の景観を特徴あるもの」にしているとあります。「いしぐろ」とは、河原や海岸で採れる一抱えほどの石で、それを積み上げた石垣塀です。その他にもいろいろあり、なかなかユニークな町並みなので、この辺りまで来られたら、立ち寄られることを、お奨めしたい。
その後、私はスケジュールどおり第27番札所の竹林山神峯寺(こうのみねじ真言宗豊山派)を訪れましたが、建物など見るべきものはありませんでした。しかし、シャクナゲの花などが見られ、雰囲気の良い寺でありました。
私は更に車を北西に向けましたが、平成7年のときは、途中にある安芸市の中心部で北に道を採り、JTB刊「町並み細見・西日本」に「土居廓中と呼ばれる水田の中の武家屋敷は野趣あふれる土用竹の生垣をめぐらせている 野良時計がのんびりと、時を刻む」と紹介されています町並みを散策しました。同書には、「この町並みは戦国時代、地元の豪族・安芸氏の居城跡で、防備のために城や侍屋敷の周囲を土塁(土居)で囲み、土居廓中と呼ばれた」とあります。これまた、この旅日記の目的からは逸れますので多くは書きませんが、遍路の途次、疲れた体を癒すにはもってこいの所で、脚を延ばすことをお奨めしたい所です。特に野良時計は、印象に残る光景でありました。
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