2008年11月10日

宇和島から吉田町を経て卯之町へ

 五重塔、三重塔をめぐる旅ながら、昨日も書きましたように、暫くは四国八十八ヵ所めぐりのようになってしまいます。

 平成7年の旅では、高茂岬まで脚ならぬ車を延ばし、岬の急斜面に群がり咲く、名も知らない花を観賞した後、国道56号線まで戻り、この日の最初の観光地としていた宇和島を目指して、車を北へ向けたのでありますが、ここで平成15年の旅のときに話を進めることとします。
 国道56号線を少し駆しりますと、間もなく御荘(みしょう)町の町域に入りますが、入って間もなく、愛媛県では最初の札所であります、第40番札所の平城山観自在寺(かんじざいじ、真言宗大覚寺派)があります。しかし、この寺には特に見るべきものはありませんでした。ただ新しいものながら、4、5メートルもありましょうか、石造の多宝塔がありました。なお、城辺町、西海町、御荘町は、平成16年10月1日の町村合併により、現在は愛南町(あいなんちょう)となっています。
 観自在寺を辞した私は、国道56号線を更に北へ向かい宇和島を目指しました。そして、宇和島市の中心部を過ぎ。JR予讃線の北宇和島駅を右に見た少し先で右に折れ、県道57号線に入り、途中で左折して県道31号線を進みますと、何ほどもなく第41番札所の稲荷山龍光寺(りゅうこうじ、真言宗御室派)に着きました。そして、4キロほど先に第42番札所の一時計仏木寺(ぶつもくじ、真言宗御室派)がありますが、これらの寺には取り立てて見るべきものはありませんでした。
 ところで、宇和島の観光名所としては、何といっても国指定名勝の天赦園(てんしゃえん)でありましょう。ここは、平成7年5月4日に拝観しましたが、なかなか素晴らしい庭でありました。
 その時は、天赦園を後にし更に国道56号線を北上し、吉田町(市町村合併により宇和島市となっています)へ向かいました。この町でも古い町並みを見ることができますが、「愛媛県の歴史散歩」には、「今なお北小路や東小路の一部には、門構えに格式を示す武家屋敷の町並が残っている」とあり、「町人町は南北方向に、西から魚之棚(うおのたな)・本町・裏町の三本の通りがあり、(中略)本町には御掛屋(おかけや)・鳥羽(とば)・叶高月(かのうたかつ)などの豪商があり、魚之棚には吉田藩随一の御用商人、豪商法華津屋(ほっけづや)や吉野屋などがあって、今なお伝統的な町並を特によく伝えている」(ルビは括弧で表記。以下、同書からの引用文について同じ)とあります。
 吉田町を後にし、五町合併により西予市となりました、かつての宇和町域となる卯之町へ向かいました。この町では、西日本最古の校舎建築という旧開明学校(平成9年5月29日、国重文に指定されました)を見学しました。そして、旧開明学校から坂道を少し下り、上の書に「江戸中期〜明治初期にかけて建築された土蔵や白壁の家屋が軒を連ねる中町(なかちょう)」とある町並みを散策し、幕末の蘭学者高野長英の隠れ家(県史跡)なども見物しました。また、この町は、明治の文明開化期に多大な貢献を果たした医者のシーボルトの娘であるイネが、シーボルトが帰国後に住んでいたところで、町の案内図も、「おイネさん」が案内するイラストになっています。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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