2008年11月15日

石手寺の三重塔

 五重塔、三重塔をめぐる愛媛県の旅の最初の塔は、以下に書きますようなものです。
 その前に、石手寺の由来について見ておきたいと思いますが、寺で貰ったリーフレットに眼を通しますと、「石手寺は聖武天皇の神亀五年に伊予の大守越智玉純が霊夢を蒙り十二社権現、天人、二五菩薩が来臨せらるるのを見てこの地を浄域として十二社権現を祠り勅願所と定めたことにはじまります」とありますので、由緒は古いということになります。そして、「愛媛県の歴史散歩」を見ますと、「初め安養寺といっていたが、813(弘仁4)年、石手寺に改めたという」。
 さて、この寺にある三重塔ですが、同書には、「三重塔は高さ24・1m、三間三重の本瓦葺で、安定感があり、清楚な印象を与える建物である。和様だが、組物の一部には天竺様の手法もみられる。本堂・三重塔とも1318年、河野氏の再建になるといわれる」(ルビ省略)とあります。しかし、境内には人が溢れ賑やかな状況で拝したためでありましょうか、「清楚な印象」は受けませんでした。
 それはともかく、中西亨先生の「続・塔の旅」に眼を通すこととします。

 石手寺三重塔は鎌倉後期の建立で、四国では唯一の中世の古塔である。つい近年阿波切幡寺の大塔が重文の指定を受けるまで、四国唯一の重文塔であった。四国で二番目の古さのこの切幡の大塔は元和二年(一六一六)の建立とされているから、石手寺の塔より三百年も新しいことになる。石手寺の方がほぼ二倍の古さだ。ただこの塔様式的にみて鎌倉後期とされているものの、今のところ棟札も記録もなくて建立年を知ることができない。現在その傍に在っておそらく同時代の建立と思われる仁王門が、文保二年(一三一八)の建立という記録(伊予古蹟志)がみつかったので、この塔もその頃の建立と推定されるにすぎない。そして仁王門が新国宝に昇格したのに、塔はまだ重文のままである。

 そして、「三重塔の最初のものは寺伝によると草創時の天平五年(七三三)の創建、延久五年(一〇七三)に再建、そして今の塔は三代目で上記のように仁王門建立の頃、則ち一三一八年頃の建立とされている。塔は純和様の堂々とした三重塔で大体型の通りであるが、珍しいのは初層の間斗束の束がないことで、これはどういうわけなのだろうか」とも記されています。

 三重塔については、こちらの写真を ↓ ご覧ください。

http://www.geocities.jp/stupacaitya/genson/38ehime/isite3/isite3.html

☆       ☆       ☆

 突然ですが、皆様は、臼井吉見作の「安曇野」という小説をご存知でしょうか?原稿用紙で5600枚に及ぶという長編小説で、別な表現を用いますと、全5部に及ぶ第五部などは、文庫本で700頁余りの分厚いものです。私は平成2年に読了しましたが、二度と読む気持にはなりません。面白くなかったからというのではなく、それだけの根気がなくなったからです。
 前置きが長くなりましたが、今日ご紹介する「新宿 中村屋」は、この小説に大変な縁を持つお店なのです。こちらから ↓ ご覧になって下さい。商品にご興味がない方も、この店の歴史の項目は、ご覧いただきたいと思います。  
 書き忘れるところでしたが、もし、「安曇野」を読みたいと思われる方がおられれば、プレゼント(気になった箇所に線を引いたりしたものですが)させて痛きます。ただし、送料は「着払い」とさせて頂きます。


posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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