2008年11月17日

次の塔へ向かう前に、ちょっとだけ寄り道を

 五重塔、三重塔をめぐる旅でありながら、今日もまた、ちょっと寄り道します。

 平成7年の四国行のときのことになりますが、第58番札所より先に第59番札所の金光山国分寺(こくぶんじ、真言律宗)、を、いわゆる逆打ちの恰好で訪れました。そこには見るべきものはなかったのですが、私の目的は、そこから300mほど東にあります伊予国分寺の東塔跡(国史跡)で、「愛媛県の歴史散歩」には、「心礎ほか13個の巨大な礎石が並ぶ」とあり、更に次のように記されています。

 ……1967(昭和42)年の発掘調査で、伊予国分寺の創設が8世紀後半であること、塔基壇が10m四方で、高さ1mの版築構造が明らかとなり、南には回廊跡の存在が想定された。諸国の国分寺の建立は、741(天平13)年の聖武天皇の詔によるが、発掘による創建推定年代と『続日本紀』766(天平神護2)年に大直足山(おおくのあたえたりやま)が国分寺に稲(いね)・鍬(くわ)・墾田10町歩を寄進した事実が合致している。(ルビは括弧で表記)

 まさに巨大な礎石でありましたが、民家に囲まれた狭苦しい所に雑然とした感じで置かれてありました。
 次いで、JR予讃線の伊予桜井駅を目指しました。上の書に、「桜井駅裏の国分尼寺塔跡(県史跡)は、面積92u・高さ70pの基壇上に6個の礎石が露出する」、と記されていたからです。しかしながら桜井駅は無人駅で、駅構内を清掃していた年輩の女性に所在地を尋ねました
が知らないといいます。駅前の店で尋ねて、ようやく判りましたが、それは踏切の向こう側で、そこまでは車ではいけないとのことでした。私は、車を駅前に置いて田の畦を辿って、「史跡伊豫國分尼寺塔址」と記された石柱の立っている所まで行ってみました。しかしながら、礎石は雑草に覆われた状態で、かつての国分尼寺を偲ぶ何物もありませんでした。

☆       ☆       ☆

 寒くなると、鍋物が美味しくなりますよね。過去のブログを調べてみましたら、11月28日にご紹介していますが、カニは如何でしょう。蟹ゆで名人の活カニを、こちらから ↓ どうぞ。


posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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