2008年11月19日

興隆寺の三重塔

 五重塔、三重塔をめぐる旅は、ようやく興隆寺の三重塔に辿り着いたわけですが、まず、興隆寺の草創のことについて見ておきたいと思います。中西亨先生の「日本塔総鑑」には、次のように記されています。

 ……皇極天皇の御代空鉢上人の開基と伝え、その後養老年中安摩が原に移り更に報恩大師がこられた時火災があって本尊が移られた所が今の本堂の横の大杉の所で、そこに本尊を安置して本堂をたてたという。桓武天皇の御病気平癒により勅命によって伽藍を建立、三重塔もこの時に創建された。鎌倉時代になって頼朝公が再興して本堂を建てたというが、今の重文の本堂は南北朝時代文中四年(一三七五)のもので他に立派な石造宝篋印塔もある。今の三重塔は江戸後期天保三年(一八三二)八月の建立で、本堂に対する丘上に聳えている。

 現地に丹原町文化協会によって立てられていました三重塔の説明板には、町指定有形文化財として、次のように記されていました(原文のママ)。

相輪の露盤の刻銘から天保七年(一八三六)の建立である。文化年間(一八〇四〜一八一八)の住職光憧上人の発願にはじまり、次代の自性上人の時世に完達したものである。
桁行(正面)三間、梁行(側面)三間、和様と唐様の折衷様式で、一・二層と三層の垂木の配列が異なっている。
一・二層は二重繁垂木、三層は唐様で二重扇垂木で、組物は和様の三手先、窓は連子窓、扉は機唐戸。二・三層に風鐸がある。
昭和三十二年に一・二層の屋根を修理している。

 三重塔の建立年について、「総鑑」と相違がありますが、丹原町役場から送っていただいた「丹原町の文化財」では、「総鑑」と同じ建立年としていますので、ここでは、それに拠っておきます。
 そして「日本塔総鑑」には、塔は「江戸後期ながらさっぱりしたいい塔で、少し落書きもあるが保存はよろしい」と記されています。なお、三重塔は、平成16年4月16日付で県の重要文化財に指定されました。
 ところで、この三重塔につきましては貴重な経験をしたのですが、長くなりますので、そのことにつきましては、明日、書くこととします。

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 以前にも、メロンでご紹介しましたが、今日は極上じゃがいもを、こちら ↓ 藤本青果で、ご覧ください。


posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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