2008年12月02日

またしても寄り道ですが

 昨日は、野暮用に追われ、ブログを書く時間がありませんでした。そして、五重塔、三重塔をめぐる旅は、またしても寄り道です。

 本山寺を後にした私は、第71番札所の剣五山弥谷寺(いやだにじ、真言宗善通寺派)へ向かいました。この寺は、平成2年にも訪れていますが、例によって私の納経帳を埋めるための再訪でありました。しかしそれだけではなく、印象に残っている寺であったからで、そのあたりのことにつき、「香川県の歴史散歩」には、「JR予讃線詫間駅下車、車15分」(ルビ省略。以下、同書からの引用文について同じ)とあったうえ、次のように記されています。

 詫間駅から県道(善通寺詫間線)を車で10分ほど走ると、弥谷寺口というバス停がある。このバス停から山道を北に1qほど登ると弥谷寺(真言宗)に着く。「いやだにさん」の名で親しまれている(中略)。山門(仁王門)の手前に俳句茶屋という茶店があり、ここまで車で登ることができる。
 山門をくぐると、ゆるやかな石段が続き樹木が茂り昼でも薄暗い。谷川に沿って参道を進むと古めかしい石仏があり「賽の河原」とよばれている。ここを過ぎると大きな金剛挙菩薩が目の前にあらわれてくる。しばらく行くと鉄製の急な階段があり、登りきると大師堂(納経所)である。(中略)
 大師堂を出ると多宝塔・十王堂・鐘楼があり、比丘尼谷に出る。ここの岩壁には阿弥陀三尊・五輪塔、南無阿弥陀仏の名号が刻まれており、弥谷寺信仰遺跡(県史跡)として特異な雰囲気を醸し出している。

 上の文中に見られる多宝塔は、もちろん拝観しましたが、中西亨先生の「総鑑」によれば、明治10年(1877)の建立といいます。
 さて、四国八十八ヵ所としては、第72番札所の我拝師山曼荼羅寺(まんだらじ、真言宗善通寺派)、第73番札所の我拝師山出釈紳士服寺(しゅっしゃかじ、真言宗御室派)、第74番札所の医王山甲山寺(こうやまじ、真言宗善通寺派)と続きますが、「香川県の歴史散歩」には、「以上の3ヵ寺と、善通寺・金倉寺・三野町の弥谷寺、多度津町の道隆寺とをあわせて7箇所まいりといい、簡便な札所めぐりとなっている」とあります。曼荼羅寺、出釈紳士服寺、甲山寺の3寺は、平成2年にも訪れており、その時は納経帳に印を押して(写真を撮って)いなかったので、それを埋めることが目的でありましたが、建物は特に見るべきものもありませんでした。なお、右の文中の「三野町は、今は三豊市となっています。
 ところで、瀬戸内寂聴の西行を描いた「白道(びゃくどう」という小説には、次のような気になる記述があります。しかし、さすがの私も、その所在までは確かめていません。
 すなわち、西行の歌集「『山家集』では、西行が曼荼羅寺の行道所へへ登り、我拝師山にも登った記録が見えている」(ルビ省略)とあり、西行は、その頂上で「塔の礎」を見たように記されている。その後に続く文章は、瀬戸内寂聴も、そこを訪ねたうえで書いているのかどうか判然としませんが、次のように記されています。

 そこには大師と釈紳士服の出スキーった記念として塔を建ててあったらしいが、今はただ塔の礎だけが残っていた。その礎は計ることが出来ないくらい大きく見え、その塔は高野山の大塔くらいもあったかと想像される。

☆       ☆       ☆

 さて、今日のブログの本文でも、いろいろ出てきましたが、いわゆる「平成の大合併」といわれるものは凄まじいものですね。現在、香川県を旅しているわけですが、香川県よりも面積の大きい市が誕生したというのですから驚きです。それは、飛騨の高山市です。寒いかもしれませんが、年末年始のお休みに高山を訪れるのも良いかもしれませんね。その時の宿として、本陣平野屋などは如何でしょう。こちらで ↓ ご覧ください。


posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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