2008年12月06日

またまた何ヶ所か寄り道です

 五重塔、三重塔をめぐる旅も、次の塔は香川県の県都、高松の先まで行かねばなりませんので、何ヶ所か寄り道をしながら向かいます。
 善通寺周辺の散策を終え、善通寺の駐車場に戻り車を引き出し、国道319号線に出て南々東へ向かい、仲多度郡琴平町の榎井(えない)という信号で左折して国道32号線を進みました。少し行きますと、今は平成18年3月20日の3町合併により「まんのう町」となっています、かつての仲多度郡満濃町域に入り、少し先で右折しますと満濃町役場があります。岩井隆次著「日本の木造塔跡」には、「弘安寺」という小見出しがあって、「役場の近くに薬師寺があり、その本堂の縁の下には古寺の礎石が八個残っている」と記されています。しかし、手持ちの道路地図などでは具体的場所が判らず、役場に寄って、所在地を教えて貰いました。判りにくい所にありますので、訪れる場合は役場(今は、ちょっと南に移っているようで、まんのう町役場となっています)で道を尋ねる方がよいでしょう。
 上の書には、続けて「これは金堂跡らしく、その近くに心礎が小屋掛けして据えられているが、原位置ではないので伽藍配置は明らかでない。心礎は二・〇五メートル×一・五五メートル、表面を削平し直径五五センチ、深さ一一センチの穴がある」とあり、出土瓦から判断し、「白鳳も古い方に属する」ともあります。心礎は、今は手水鉢として利用されています。
 次いで私は、綾歌郡飯山町(はんざんちょう、平成17年3月22日の市町合併により新「丸亀市」となっています)の下法軍寺(しもほうぐんじ)にあります法勲寺(ほうくんじ)跡へ向かいました。この廃寺跡について、「香川県の歴史散歩」には、次のように記されています。

 飯山高校先の島田バス停のある交差点から西へ、善通寺市与北方面へ行く県道(善通寺綾歌線)を約1q進み、南の小路に入ると150mの地に大正年間創建の法勲寺(浄土真宗)がある。その境内周辺が白鳳時代の法勲寺跡である。(中略)法勲寺境内にある塔心礎石や境内及びその周辺から出土した古瓦のなかには、百済様式、白鳳前期に属する素縁八葉素弁おやゆびサイン華文軒丸瓦や、白鳳時代の鋸歯文六葉単弁おやゆびサイン華文軒丸瓦などがあり、7世紀後半、白鳳時代の創建と推定とされている。(ルビ省略)

 私は、道路地図を頼りに、国道32号線を北東へ進み、そこは綾歌郡綾歌町(ここもまた現在は丸亀市となっています)となる岡田という信号で左折し、国道438号線を北上し、途中で県道22号線へと左折して、ともかく法勲寺に辿り着きました。しかし、境内を隅から隅まで探してみましたが、塔心礎らしいものは見当たりません。諦めて次の目的地へ向かいかけたのですが、折角ここまで来ていながら、と諦め切れずに、近くにありました(有)豊嶋設備を訪れました。何という偶然でありましょうか、そこの会長が法勲寺の住職で、社長夫人は住職のご息女だということでした。そして、「父(住職)は畑仕事をしているかと思いますので、声をかけてみて下さい」と言われます。私は寺へ戻り、畑仕事をしておられた住職の豊嶋正信氏に声をかけましたが、ご住職は「それは判るはずがないよ」と言われて、ご案内くださいました。しかし、その心礎は、ほんの僅かな一部の残片で、そうと言われなければ判らないものでした。
 ご住職に礼を述べ、私は、持参していた拙著「塔に魅せられて」(東日本篇)を受け取っていただいて、法勲寺を辞しました。

☆       ☆       ☆

 さて、クリスマス、年末年始の休みと楽しいものも間もなくですが、一つ憂鬱に感じるのは、大掃除ではありませんか。普段から、マメに掃除をしておられる方は、その延長線上で考えれば良いのでしょうが。こちらは ↓ そんな大掃除に役立つかもしれません。

posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 20:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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