2008年12月08日

またもや寄り道です

 五重塔、三重塔をめぐる旅日記も、昨日は、おじゃま虫の襲来に遭い、休まざるを得ませんでした。

 法勲寺を跡にした私は、県道22号線を西へ向かい、途中で県道4号線(丸亀街道)へと右折し旧丸亀市域に入って、すぐ先の右手にある宝幢寺(ほうとうじ)池の畔まで行きました。目的の宝幢寺の塔心礎は、岩井隆次著「日本の木造塔跡」には「その池の堤防から一〇メートルぐらいの池の中に白鳳の古寺の心礎が残っている」とありますので、渇水期でもないかぎり恐らく、そこにある塔心礎は見られないであろうと思っていました。そして、案の定、それは水面下にあった、というより、そのこと自体を、確認することさえできませんでした。
 宝幢寺池を後にした私は、県道4号線を北へ進み、高松自動車道の少し手前の郡家(ぐんげ)町という信号で左折し、県道18号線を西へ進み、国道319号線へ出て右折し、平成2年の10月21日の早朝にも訪れている第76番札所の鶏足山金倉寺(こんぞうじ、天台寺門宗)を再訪しました。平成2年に訪れたときには気づかなかったのですが、この時は、偶然にも「三層塔真柱礎址」と刻された白い石柱を眼にしました。しかし心礎の上には、五輪塔様の石が載せられており、心礎の形状は判りませんでした。
 金倉寺を辞した私は、県道25号線で仲多郡多度津町へ至り、県道21号線に突き当たって左折し、四国八十八ヵ所の番外札所の屏風浦海岸寺(かいがんじ、真言宗醍醐派)へ向かいました。以前にも見ました「四国八十八所遍路」には、「海岸寺の本坊は予讃線と県道を越えた、文字通り海岸に建っており、本坊から、だいぶ離れた御産盥(みたらい)山古墳の東側の山つづきに奥の院や大塔が建てられている」(ルビは括弧で表記)とあります。
 上に「大塔」とありますがが二重塔であり、故國見辰雄氏の「塔をゆく」(第三巻、多宝塔)には、次のように記されています。

 この塔ははじめ三重塔として設計されたものの、いろいろな事情により二重までで留まったものでそのためか、相輪はなくて屋根には宝珠のみ置く。(中略)
 上層は擬宝珠勾欄付の縁をめぐらし、屋根は本瓦葺。基壇と初層の軸部部分は朱色に塗ってある。
 一辺が約3・5メートル、総高約11メートル。

 私の本来の対象の塔ではありませんが、写真を掲げておきます。

http://www.geocities.jp/stupacaitya/genson/37kagawa/kaigan2/kaigan2.html

 この先を続けますと長くなりますので、今日は、この辺で止めておきます。したがって、明日、いや暫くは寄り道となりますことを予告しておきます。

☆       ☆       ☆

 さて、昨日お休みしてしまいましたので、今日は日曜日の定番メニューのこちらを ↓ どうぞ。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 20:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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