2008年12月10日

讃岐国分寺を訪ねます

 五重塔、三重塔をめぐる旅は、今日は幻の七重塔へ向かいます。

 まず時を確認しますが、平成15年5月2日のことです。この日は、さほどの距離を駆しったわけではないのですが、立ち寄る所が多かったので、私は第80番札所の白牛山国分寺(真言宗御室派)に近い民宿に宿を求めてありました。というのも、遍路の順序からすれば次は第79番となるわけですが、旅のコースとしては、第80番を訪れた後に、第79番、第81番、第82番、そして第83番へ廻った方が効率的であったからです。なお、この頃の国分寺の所在地は、綾歌郡国分寺町国分でありましたが、平成18年1月10日の合併により、今は高松市となっています。
 民宿に着いた時は、まだ陽が高かったので、民宿に車を置いたまま、歩いて国分寺を訪れました。この寺には、平成7年5月9日にも訪れていますが、現在の国分寺の境内は、殆ど聖武天皇の勅願により建てられた国分寺の跡の中にあります。しかし、どういうわけか現在の寺は、それを快く思っていないらしく、当山とは無関係という看板が立てられていました。果たして今は、どうであろうか、そんな思いで境内に入ったのですが、「国分寺由来」とある説明板の末尾に、「当山の正式名称は宗教法人国分寺であり『跡』や『公園』ではありません」とありました。現に寺として経営し、かつ家族が生活しているのでありますので、「跡」とされたり、「公園」とされたりすることには抵抗もありましょうが、考古学的にも「跡」であることは証明されていることであれば拘る必要はないと思うのですが。
 現地には、昭和63年に国分寺町教育委員会によって立てられた説明板もあり、それには次のように記されていました。

 全国60余りの僧寺・尼寺のなかで、奈良時代の建物が現存するものはなく、その所在地さえ不明になっている例も少なくない。讃岐国の場合は、僧寺・尼寺ともに寺地が判明しており僧寺跡は国の特別史跡、尼寺跡は史跡に指定されている。
 讃岐国分僧寺は現在の白牛山国分寺境内に金堂跡・塔跡の礎石をほぼ原位置で残し、現国分寺本堂(鎌倉時代・国指定重要文化財)は旧講堂跡に建てられたと推定されている。また、近年の発掘調査の結果、寺域を区切る土塀跡や溝、僧坊跡・鐘楼跡・回廊跡などが確認され、東西約220m(2町)の寺域をもつこと、中門と金堂を結ぶ回廊内の東に塔を置く大官大寺式の伽藍配置をとることなどが判明した。

 ちょっと判りにくいかもしれませんが、塔跡の写真を掲げます。

http://www.geocities.jp/stupacaitya/touato/37kagawa/sanukikokubun/sanukikokubun.html

 上の写真でお判りいただけますかどうか、中央に石造五重塔の下にあるのが心礎のようです。「ようです」と書きましたのは、旧版の「香川県の歴史散歩」には、「中央の心礎には、約四〇センチの枘穴があるが、いまその上に鎌倉時代の石の七重の層塔が建てられて、見ることができない」とあるからです。私が眼にしましたのは石造七重塔ではなく石造五重塔でしたので、果たして、その下にある石が、かつての塔の心礎でありますかどうか確信がありませんが、まず間違いないでしょう。
 平成8年(1996)発行の新版の「香川県の歴史散歩」には、「国分寺町では寺跡を史跡公園として整備しており、築地塀の一部の実物や僧坊覆屋を復元し、10分の1の石造伽藍模型をつくっている」とありますが、それについては、故吉田実氏からの平成5年3月10日付のお手紙で知っていました。そのお手紙には、「変った復元模型として石造、讃岐国分寺七重塔が讃岐国分寺遺跡に設置してあります」とあり、「文化庁監修、月刊文化財に紹介されています」として、そのコピーが同封されていました。そして、「この寺の住職は妙なものを遺跡に造られて迷惑だと云わん許りの応待です。実態はよろしく御推察下さい」ともありました。しかし、そのお手紙のことをすっかり忘れていました私は、平成7年の時は、その石造七重塔の模型を見ずに寺を辞してしまいました。そこで、平成15年に再訪となった次第です。お送りいただいた月刊「文化財」には、次のように記されています。

 ……国分寺町が平成二年度から史跡等活用特別事業の採択を受け、遺構全体模型設置工事として、平成三年度に十分の一の大きさの七重塔を史跡地北東に設置した。露出展示するために石材を使用しているが、従前の石塔とは異なり屋根表面には丸瓦、屋根裏面には二重垂木を彫り込んでいる。また、高欄は木製、相輪は金属製とするなど、木造塔を忠実に再現している。建物は一辺一メートル、一層の屋根の一辺は二メートル、高さ六・三メートル、重さ一二トンであり、平成四年度以降も順次伽藍模型を設置していく予定である。

 この模型は、ちょうど現在の国分寺の裏手にありますが、寺の境内とは、厳重な金網で隔てられていました。宗教と観光を厳密に考えることは、ある意味で重要なことであるとは思いますが、あまり厳格に考えず、誰もが自由に古代と現代を往復(いきき)できるようにする方がよいのではないでしょうか。もっとも、これまでも随所で書いてきましたように、不逞の輩が出没し、怪しからぬ行為に及ぶのも確かで、それなりに文化財を保護する対策は欠かせず、それはまた、寂しいことではあるのですが。そんなことに余計な神経や費用をかけずに済むよう、日本が真の意味での文化国家になることを祈りたいと思います。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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