2008年12月12日

まだまだ寄り道です

 五重塔、三重塔をめぐる旅は、まだまだ寄り道が続きます。

 平成15年5月3日のことになりますが、県道33号線を西へ進み、国道11号線の高架橋の下をくぐり、綾川に架かる綾川大橋を渡り一つ目の信号で左折、更に一つ目の四つ角を左折しますと、右手に鼓岡神社があります。更に車を進めますと、道が二股に岐かれる所の右手に府中ポンプ場がありますが、その脇の道を左に入った所に開法寺(かいほうじ)塔跡があります。と書きましたものの、それは幾つかの地図や資料を見ながら書いているのであって、初めて訪れた平成7年のときは、近くまで行っていながら、探し当てるのに苦労しました。尋ねること2、3度、ようやく知っている人に出会いましたが、近くに住んでいても、石が幾つかあるだけのことですので、興味がなければ、その存在を知らなくても当然でしょう。そして、平成15年のときも、迷った末に辿り着きました。この遺跡を訪れる場合、開法寺塔跡といって尋ねても知っている人は少ないので、鼓岡神社の所在地を尋ねる方が良いかもしれません。
 この塔跡について、岩井隆次著「日本の木造塔跡」には、次のように記されています。

 坂出市南谷の鼓岡神社の南に開法池という溜池があり、その東側に完全な姿で残っている塔の遺跡がある。この寺は開法寺といって、『菅原文章』の客舎冬衣の詩に「開法寺在府衙之西」といわれたところで、昔の国府の跡はこの寺跡のすぐ東にある。
 心礎のほか四天柱礎、側柱礎がすべて完全に残っている。塔の一辺五・八メートル、基壇は壇上積みであるが一部(六・五メートル)が残っているだけである(一辺一一・二メートル)。心礎の大きさは二・一メートル×一・二メートル、直径八五センチ、幅三センチ、深さ三センチの環状排水溝の柱座があり、その中央に直径四六センチ、深さ一五センチの孔がある。(中略)上野山王廃寺と大体同じ形であるが、ただ違うところは山王廃寺が地下式であることと舎利孔があることなどである。なお環状溝から外に出ている排水溝は、山王廃寺では四本であるがこの寺では二本(幅、深さともに三センチ、長さそれぞれ一八センチ及び二〇センチ)である。四天柱礎及び側柱礎はいずれも自然石、伽藍配置は一応法起寺式と想定されているが、北の端に出てくる礎石が講堂のものか僧坊のものか判明しない。しかし塔と廻廊の関係からすると、法起寺式と考えるのが妥当とされている。素縁素弁八葉、十葉おやゆびサイン華文鐙瓦及び高句麗様式の周縁鋸歯文、素弁八葉おやゆびサイン華文の鐙瓦及び珠文帯扁行唐草文宇瓦が出土し、およそ白鳳期の創建であろう。国分寺建立に先立ち、天武天皇一三年に「諸国の家毎に仏舎を造り仏像及び経を置き礼拝供養せしむ」との詔に基づき国府に造られた寺ではないかと推定されている。

 上に「上野山王廃寺」の塔心礎との比較がありますが、「上野」とは上毛野(かみつけの)すなわち「上野(こうずけ)国」のことであり、山王廃寺の塔心礎は、現在の群馬県前橋市総社町にあり、上にありますとおり地下式でありますが、見学できるように整備されています。この塔跡は国の史跡に指定されており、ここから遠くない所に上野国分寺跡(国史跡)もありますので、興味のある方は訪ねられるとよいでしょう。

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 昨日は、迷惑メールに悩まされ、ブログを書く時間がありませんでした。
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 なお、今日も削除しましものの、トラックバックに卑猥なものを付ける無礼な輩がおりますが、私とは全く関係がありません。貴重な記事と思われるものは、残させていただきました。
posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 19:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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