2008年12月18日

志度寺の境内を散策

 五重塔の拝観を済ませた私は、志度寺の境内を散策しました。
 昨日見ました寺発行のリーフレットに「海女の墓」などのことが記されていますが、リーフレットにありますように藤原不比等が造立したものかどうかは判りませんものの、その「海女の墓」は、五重塔の右手奥にあります。現地には志度町文化財保護協会によって立てられた説明板がありましたが、この旅日記では、高群逸枝の「お遍路」に眼を通すこととします。

 寺内に海女墓がある。謡曲「海女」の女主人公である。天智朝、鎌足の女の才色は唐朝まで聞えて高宗の妃に迎えられた。鎌足が死んだとき高宗は宝玉を妃に与え、先考追福の資として兄の不比等におくらせた。宝玉をのせた船は今の志度浦にさしかかったとき、しけのために面向不背の珠を龍神のために攫われた。その珠は中に釈紳士服三尊を刻み、これを拝するに表裏なく上下なしという名宝であった。淡海(不比等)は珠を取り返すべく房前浦(志度浦の古名)に下り、漁師の娘と契って一子房
前を設けた。やがて夫の目的を知った妻は、死を決して海底に入り、首尾よく龍神から玉を取り戻すと、それを己が乳の下を切って押隠しながら浮び上がった。不比等はそこに一宇を建て、死度道場と名づけてその霊を弔った。
(ルビ省略)

 海女の墓を見物した後、私は本堂(国重文)を拝観し、本堂と向き合ってある書院の裏の庭園を散策しました。この庭園は見応えのあるもので、志度町観光協会によって現地に立てられた説明板には、次のように記されていました。

 この庭園は今から五百年前文明五年頃細川氏一派によって作庭された曲水式地割の古い型式を備えた廻遊式池水庭園でありましたが昭和三十六年京都林泉協会々長重森三玲先生の指導により復元され室町初期の石組を参考にし乍ら新しい現代感覚を盛込んだ庭園であります。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 12:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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