2008年12月20日

またまた寄り道ですが

 四国本島の五重塔、三重塔は見終わりましたが、四国では、もう一基だけ塔があります。それは、明後日あたりの楽しみとしていただくこととし、もう二日ほど寄り道に、お付き合い願います。なお、昨日は、サイト側のシステム障害のため、ブログが書けませんでした。

 志度寺から国道11号線を東へ進み、平成15年4月1日の3町合併により今は東かがわ市となっている、当時の大川郡白鳥町域に入り、湊川に架かる湊大橋の手前で右折して、川沿いの道を南下して少し行きますと、3階建てのマンションがあります。その辺りで道はカーブしますが、その曲がり角に白い看板がありましたので、車を道の傍らに寄せて駐め、その看板を見に行きますと、それが目指す白鳥廃寺跡でありました。
 この塔跡について「香川県の歴史散歩」には、交通の便について、高徳線讃岐白鳥駅からバス長尾引田線で湊バス停下車5分とあったうえ、「讃岐白鳥駅から国道11号線を西に約1・5qの湊大橋から、南に約600m、湊バス停で降りると、湊川左岸の北と南の低い丘陵に挟まれた水田のなかに、白鳥廃寺跡(県史跡)の東西二つの土壇が残っている。東側は塔基壇跡であり、西側は金堂基壇跡と考えられる。(中略)出土瓦はおやゆびサイン華文鐙瓦など白鳳期から平安後期までのものがある。塔基壇の礎石が火をうけており、ほかにも焼土がみられることから、寺の創建は白鳳期にさかのぼり平安後期に焼失したと考えられる」(ルビ省略)とあります。季節柄、礎石の周囲は雑草に覆われていましたが、周りの草を踏み分けて、ようやく心礎の写真が撮れる状況まですることができました。
 この塔跡について、岩井隆次著「日本の木造塔跡」には、次のように記されています。

 ……昭和四三年に発掘調査が行なわれ、心礎のほか九個の礎石のある塔跡と、一一個の礎石の残る西方土壇が確認された。後者は金堂跡らしく、南面していたか東面していたかはっきりしないが、まず法起寺式の伽藍であろうと推定されている。心礎は一・六メートル×一・四メートル、上部を削平し直径三七センチ、深さ七・三センチの孔があるが、他の礎石は心礎を中心に集めた形跡があり、動いているのでどれが四天柱礎か側柱礎かよくわからない。したがって土壇の一辺は一二メートルであるが、塔の一辺長ははっきりしない。出土瓦は法隆寺系複弁おやゆびサイン華文鐙瓦で、白鳳末期ないし奈良初期。この寺の創建もその頃であろう。平安末期の瓦も発見され、その頃まで存続していたことを物語っている。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 18:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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