2008年12月27日

豊前国分寺の三重塔

 五重塔、三重塔をめぐる九州の旅で拝観する最初の塔、それが豊前国分寺の三重塔ですが、昨日も見ましたリーフレットには、次のように記されています。

 国分僧寺の塔は本来七重塔で、当初鐘楼門をはさんで三重塔とは反対の東側にあったと推定されています。
 焼失後、塔が再建されたのは明治になってからです。住職宮本孝梁師の発願により、明治二一年(一八八八年)に着工し、二八年完成、二九年一月に落慶法要が行われました。
 その後一〇〇年間経過して傷みが激しかったため、昭和六〇年から六二年に全面的な解体修理が実施されました。
 三重塔は昭和三二年に福岡県の有形文化財に指定されています。
 建物の高さは約二三・三m、初層の大きさは一辺が約七・五mです。建築様式は層塔と多宝塔の折衷様式で、心柱は全長二三m・根元六〇p角の杉材の一本物です。

 創建当初は七重塔であったという天平の国分寺の塔址は今は残っていないようなので、上のリーフレットには豊前国分寺星座(うお座)寺伽藍配置図も描かれ、塔跡推定地も示されていますが、訪れてはいません。
 ところで、「豊前国分寺三重塔」というリーフレットには、「昭和32年、県の文化財に指定されたが、その後落雷のため大破したので再び浄財を募って昭和40年に復元し、さらに昭和63年に全面的な解体修理により昔日の面影を偲ばせる優美な塔が完成した」とあります。解体修理の年の違いは措いて、落雷による大破とは、どの程度であったのでしょうか。修理ではなく復元とあるのも、気になるところです。しかしながら、県の文化財の指定が解かれていないのですから、大破とはいいながら、大部分が古材を使用しての修理であったのでしょう。
 このリーフレットには、続けて次のように記されています。(原文のママ)

 ……上層と中層の屋根は同じ大きさで、下層は大きく張り出している。床下の礎石29基のうち奈良時代の円形柱座をほどこした礎石が3基ある。
 「塔」はインドのストゥパー(仏塔)の流れをくむ多重塔形式をとっていますが塔の内陣には大日如来を中尊とする四仏が安置され多宝塔形式となっており全体的には層塔形式と宝塔形式の折衷形式とみなされています。また二層目には12星座の彫刻が施され、明治の文明開花の影響がみられます。

 ちょっと眼を昭和53年発行の旧版「福岡県の歴史散歩」に眼を移しますと、次のように記されています。

 ……二九個の礎石のうち枘(ほぞ)穴をもつ心礎と円形柱座をもつ礎石二基は創建時のものといえるが、その位置には疑問がある。山門と鐘楼門(中門)をむすぶ線の延長戦上には南方は村道が約二〇〇メートル南にのびガランデ(伽藍田の意)地区につうじており、北方には本堂のすぐ後方の東西約一一〇メートル、南北七〇メートルの長方形の竹藪(やぶ)をとびこえて旧道の痕跡があるので、これがもとの伽藍中軸線と考えられるが、塔の中心は中軸線から三五メートル西で、上国豊前の国の国分寺としては近すぎる。大正初年、塔の西隣の畑から多数の古瓦をだした(豊津高校所蔵品はその一部)ことがあり、塔の位置をおもわせる。(原文のママ。ルビは括弧で表記)

 三重塔の床下にある礎石の一つが、「枘(ほぞ)穴をもつ心礎と円形柱座をもつ礎石二基は創建時のものといえる」ということですが、申し上げるまでもなく、それらの礎石は見ることができませんでした。また、先に見ましたパンフレットと同名の別のリーフレットには、相輪の部分写真が掲載されており、それには、「遙かインドは、ストゥーパの形を伝える真の塔婆」と説明書きが付してあります。このような説明があることからして、塔の本質を承知している人が、リーフレットの作成に関与していることが解ります。
 ところで、「豊津町」というA三版の1枚刷りのものを見ますと、「塔の高さは23・3メートル、奈良法起寺と並び三重塔としては全国一を誇っている」とあります。一方、中西亨先生の「日本塔総鑑」には、「一辺が七・五〇メートル、三重塔としては法起寺の塔をしのいで木造塔としては日本最大のものである」とあります。こちらは、塔の高さではなく、初重の一辺の長さが、法起寺の三重塔を超え日本最大というように記されているわけです。しかし、同書には、法起寺の三重塔の初重の一辺は六・四一m、高さ二三・九〇mとあります。であれば、高さでは法起寺の塔より低いが、初重の一辺は確かに法起寺の三重塔より長く、それは見た目でも明らかでありました。しかし、これまた同書には、奈良の薬師寺三重塔は、裳階の部分の長さではなく塔身の初重の一辺が七・〇九mとあり、これら三塔の中では最も長く、「法起寺の塔をしのいで」というのは、適切な表現ではないことになります。それほど重要なことではありませんので中西亨先生に確かめてはいませんが、同書やリーフレットが、法起寺の三重塔を引き合いに出していますのは、法起寺の三重塔が最古の三重塔であるからでしょう。
 ともあれ、中西先生も「日本塔総鑑」で、「とにかく変わった塔」と記しておられるとおり、この塔を眼にした瞬間は、美しいと感じられる姿ではありません。他に例を見ない形式でありますが、設計、建立者の意図は、どんなものであったのでしょうか。
 いずれにしましても、下の写真をご覧いただいた方が早いでしょう。

http://www.geocities.jp/stupacaitya/genson/40fukuoka/buzenkokubu3/buzenkokubu3.html

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 20:40| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たびたびすみません。はじめまして。日頃、ブログとの縁がないのでクリックを間違えてしまいました。失礼しました。さっそくですが、山際さんのお書きになられた書籍の購入方法をお教えください。「メインユーザーアドレス」が、どこに表示されているかがわからなく、とりあえず、このコメント欄に記入させていただきました。お手数ですがよろしくお願いします。
Posted by tuji_ken at 2009年01月26日 18:25
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