2008年12月28日

これから先は、またしても寄り道です

 五重塔、三重塔をめぐる旅ですが、暫くの間、寄り道をします。

 平成15年の塔めぐりの時は、豊前国分寺を辞した私は、県道238号線を進み、国道496号線に出ました。その左手角に観光案内所がありましたので立ち寄り、付近の案内図などを貰い、道を尋ねて国道を南下、上坂(かみさか)廃寺跡へ向かいました。この廃寺跡について、「福岡県の歴史散歩」には、次のように記されています。

 豊津町の台ヶ原台地の東端と祓川に挟まれた水田下に上坂廃寺跡(県史跡)が埋没している。その塔の心礎は、直径2m以上の花崗岩でできており、柱を立てる円形の穴がうがたれ、さらにその底に舎利を入れる穴もあった。この塔心礎から塔の高さを推定すると約34mとなり、古代の京都平野のなかでも相当な高さであることがわかる。ただ文献にはこの寺についての記録がなく、豊前国分寺の経蔵跡とも、国分寺の前身寺ともいわれており、謎の多い寺院である。(ルビ省略)

 上にもあるとおり、この心礎は水田下にありますので眼にすることができないことは判っていましたものの、ともかく行ってみたのですが、標識など何もなく、ここら辺りではないかと思われる所の近くで働いていた人に尋ね、大体の場所が判ったような次第です。そして、旧版の「福岡県の歴史散歩」には、次のように記されています。

 このほか、京都郡内には勝山町仲哀トンネル入口右上に菩提廃寺(県史跡)、行橋市福丸に四天王寺式伽藍配置とみられる願光寺境内の椿市廃寺、犀川町木山に木山廃寺と三つの古代寺院跡があるので、平安初期には京都郡内に六つの大寺院が存在し、三重以上の大塔が群立していたことになる。

 上に、「六つの大寺院」とありますが、同書を見ても、もう一つが、どの廃寺なのか不明です。それはともかく、菩提廃寺と椿市廃寺については後に訪れますが、木山廃寺へは行かずじまいでした。
 上坂廃寺跡を後にした私は、国道496号線を戻り、八景山という信号まで車を進めました。平成15年の旅では、そのまま国道を進み、行橋市へ向かったのですが、ここで時を平成11年4月11日まで遡らせることとします。なお、八景山の信号の左手には、町のシンボルである豊前国分寺の三重塔の相輪をイメージしたものといいます石造の相輪を象った「天平の塔」が設置されています。
 平成11年の時は、八景山の信号で左折し、県道58号線を西へ向かいました。そして、国道201号線へ出るべくレンタカーを駆しらせていますと、御所ヶ谷神籠石(どしょがたにこうごいし)の標識が左手に見えてきました。予定に入れてあったわけではありませんが、機会があれば訪れたいと思っていた所でありましたので、私は躊躇なく、その標識に従いました。
 神籠石は塔とは全く関係がありませんが、寄り道ついでに、「福岡県の歴史散歩」に眼を通すこととします。

 ……この御所ヶ谷神籠石(国史跡)は、九州・中国各地に7世紀頃つくられた朝鮮式山城の一つと考えられている。
 門跡は、東門・中門・西門・東北門・南門・南西門の6ヵ所、列石は部分的に残存して10ヵ所あり、すべて花崗岩が使われている。(中略)中門は、高さ6・5mから7・5m、長さ18m、ととのった石樋(せきひ)を有しており、その雄大さに圧倒される。(ルビは括弧で表記)

 同書には、「1市2町にまたがり門跡・列石・土塁が約3qにわたっって続いている」ともありますが、申し上げるまでもなく、私はその総てを眼にしたわけではありません。車が通れる道の終点は、上の引用文中の「中門」の跡が遺る所であり、ほんの一部分をみただけですが、それだけでも、まさに「その雄大さに圧倒」されました。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 19:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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