2008年12月29日

暫くの間、塔跡などをめぐります

 現に建つ五重塔、三重塔をめぐる旅ですが、これから暫くの間、塔跡めぐりになります。

 御所ヶ谷神籠石を後にした私は、県道へ戻って左折し、国道201号線で西へ向かいました。やがて前方に新仲哀(ちゅうあい)トンネルが見えてきますが、トンネルの入口のすぐ右手前の高台に菩提廃寺跡があります。廃寺跡といいましても、そこは民家の庭先のような所であり、礎石がある所も、あるいは個人の敷地かもしれません。
 現地には、平成6年3月に勝山町教育委員会によって立てられた説明板があり、「昭和三十年三月十二日 県指定」とあったうえ、次のように記されていました。

 菩提廃寺は、八世紀後半頃の創建とされ、建物配置に明確な規則性をもたない山岳寺院的な寺院跡です。
 ここに見える三間×三間の塔礎石とこの北方に位置する四間×五間の金堂の礎石が今も残っています。(中略)
 昭和六十一年には、塔礎石の周囲が調査され、基壇とその外側を巡る石列の存在が確認されました。一辺十一・二メートルの基壇を構築する石には、割れた礎石三点が含まれており、この基壇が改築されたものであることがわかりました。改築の原因としては、礎石が転用されていることや焼けた土が確認されたことから、塔の一部が炎上し部分的な倒壊があった可能性が指摘されています。

 塔跡は整備されており、礎石の間には花が植えられていましたので、心礎の近くまで行って写真を撮ることができませんでした。
 ところで、岩井隆次著「日本の木造塔跡」に眼を通しますと、「四天柱礎、側柱礎はすべて自然石で、塔の一辺は五・一五メートル、中の間が脇の間より相当大きいがこれは塔の規模が小さいためである。この寺は宝積寺といい、平安初期の創建といわれ」、とあります。なお、トンネルの名に「仲哀」という文字が見えますのは、古代史の愛好家にとって興味あるところではないでしょうか。
 さて、そのトンネルを抜けますと香春(かわら)町で、石灰岩の採取で無惨な恰好になった香春岳が眼に入ってきます。

 九州で最も注目すべき寺は、田川郡香春の天台寺ではないかと思います。香春の神さまが自ら新羅からおいでになったという、その香春神社の近くにある天台寺です。香春神が、(中略)渡来氏族の氏神であったのに対し、天台寺は氏寺であったと考えられます。その天台寺址からはすばらしい新羅系文様の瓦が出ているでしょう。

 上は、「宇佐八幡と新羅花郎」と題された座談会(司馬[]太郎・上田正昭・金達寿編「朝鮮と古代日本文化」所収)での、田村圓澄(えんちょう)の発言です。新旧の「福岡県の歴史散歩」を見ましても、天台寺については何も記されていませんので無駄になるかとは思いましたが、気になっていた私は、次の目的地である飯塚市へ行く道筋に当たっていましたので、香春神社に立ち寄ることにしていたのです。しかし、この辺りはセメント工場が建ち並ぶだけの埃っぽい所で、香春神社への案内標識なども見当りませんでした。見当で国道201号線を右に折れ、その先の角にありましたコンビニに入りかけていた女性に香春神社の場所を尋ねました。その女性は、たぶん、この道を行って……、と教えてくださったうえ、「この辺りの者ではないので、間違っていたら、ごめんなさい」と言い添える親切な方であった。お礼を言い、教えられたとおり細い道を進みますと、間違いなく左手に香春神社がありました。しかし、近くまで行っても神社の案内板もなく、ましてや天台寺のそれなどありません。神社の境内を歩きまわりましたが、それらしい気配も感 じられませんでした。ただ、桜の花が見頃であったことが、唯一の慰めでした。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 20:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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