2009年01月04日

まだ寄り道なのですが

 五重塔、三重塔をめぐる旅日記も、三が日は休みましたが、今日から再開することとします。ただし、未だ寄り道です。

 新飯塚駅からJR筑豊本線で南へ向かいますと、三つ先に桂川(けいせん)という駅があります。そこでJR篠栗線に乗り換えますと一つ目に筑前大分(ちくぜんだいぶ)という駅があります。私は竜王寺を訪れた前日(平成11年4月10日)に、福岡駅から筑前大分駅まで篠栗線に乗りました。小学生のように、前方が見える先頭車両の一番前に乗って、かすめ過ぎる風景に心を遊ばせているうちに筑前大分駅に着きました。この駅までの途中には、長者原(ちょうじゃばる)、九郎原(くろうばる)などという珍しい名の駅もあり、門松(かどまつ)という目出度い駅名もあります。九州では、「原」を「はる」、濁って「ばる」と読みます。降り立った駅前などは寂れた感じでありましたが、首都圏の感覚で言えば楽な通勤圏になり、塔跡への道筋には新しい家並みも見ら
れ、かつての炭坑の町がベッドタウンに変貌しつつあるように見受けられました。
 筑前大分駅から15分ほどの所に大分廃寺塔跡がありますが、「福岡県の歴史散歩」では、その所在地について、嘉穂郡筑穂町大分字長楽寺となっていますが、前に書きましたとおり、現在は飯塚市大分となっています。
 現地には、筑穂教育委員会によって立てられた説明板があり、次のように記されていました。なお、説明板によれば、この塔跡は昭和16年12月13日に国の史跡に指定されています。

 大分廃寺塔跡は、嘉穂郡で唯一の古代寺院の塔跡です。
 塔跡は、保存状態が大変良く、塔の中心柱を支えた心礎を中心に十七個の礎石がほぼ創建当時のままの良行な状態で残っています。心礎は大変丁寧に作られており二条の排水溝が見られます。また、心礎側面に見られる線刻は伽藍造営の基準線と密接に関連するものとみられます。
 現在までの発掘調査の結果などにより、寺域を区画すると思われる溝と柵列を検出し、その寺域は南北約九十四m・東西約百二m、大分廃寺の建立は八世紀初頭(今から約千三百年前)と推定されます。また、心礎柱座の直径から計算すると、三十mを超える三重の塔であったと考えられます。出土する古瓦は、新羅系と呼ばれる華麗な瓦であり、当時太宰府から豊前への官道の中継地点として、文化交流が盛んだったことがわかります。現在では塔跡以外は見ることができませんが、当時は七堂伽藍と言って塔・金堂・講堂などがそろった立派な寺院であり、その伽藍配位置は金堂を左に、塔を右に配する、法起寺式と推定されます。(原文のママ。ただし、ルビ省略)

 さて、ここへ来る途中、筑前山手駅の手前で、左手の車窓から塔らしい建物が見えました。ちらっと見たかぎりでは、立派な三重塔のようでありましたので、新しい塔を発見、と胸をときめかせたものでありました。しかし帰りの電車の中から改めて見ますと、相輪などは体をなしておらず、果たして塔といってよいものかどうか判りませんでした。しかしながら眼にした以上、近くへ行って確かめねばなりません。ホテルに戻って明日のドライブコースを地図で確認しますと、幸いその近くを通ることを知りました。
 翌日のことになりますが、新飯塚駅の辺りからは国道201号線の方が良いのではないかと判断し、これまで辿ってきた道を西へ向かいました。20キロほど山道(といっても立派な舗装路である)を登り降りしますと、やがて前日に乗った篠栗線が左に寄り添ってきます。間もなく筑前山手駅であるはずですが、前方に建物が見えてきました。しかし結論からいえば、塔風の建物であって、塔ではありませんでした。

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 4日休んでしまいましたので、トップページに同じバナーが二つということになってしまいますが、今日は日曜日ですので、こちらを ↓ どうぞ。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 11:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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