平成15年のことになりますが、私は、みやこ町と行橋市の境に当たります八景山から国道496号線を北上しました。行橋市の中心部を流れる今川に架かる今川橋を渡りますと、国道は直角に左に折れ少し行った先で更に直角に右に折れます。更に少し行った先、突き当たった所が国道201号線で、そこを左に折れ、少し行った先で右に折れ、県道28号線(直方行橋線)に入りました。この道は平尾台への道ですが、3・5キロほど行きますと左手に椿市小学校があります。小学校の少し先、道が平尾台への登りにさしかかる手前辺り、今でもありますかどうか左手の酒店のすぐ手前の道を右折しますと、左前方の小さな森の中に、願光寺という寺があり、その境内が目指す椿市(つばいち)廃寺跡になります。右折した道は小型車がやっと、といった細さですので、酒店の辺りに車を駐め、歩いて行った方が無難でしょう。
現地には、行橋市教育委員会によって立てられた説明板があり、それには次のように記されていました。なお、同説明板によれば、この廃寺跡は、昭和56年2月2日、市の史跡に指定されたといいます。
椿市廃寺は、九州における初期寺院の一つで7世紀末から8世紀の初めに建てられた古代寺院跡である。
現在までの調査により、椿市廃寺は塔、金堂、講堂といった主要な建物が南北に一直線にならぶ九州では稀な四天王寺式の伽藍配置である。
講堂跡は、遺構の保存状態が良く乱石積の基壇や礎石が残っている。建物は7間×4間で、基壇の規模は、東西27m、南北18mほどである。
塔は、参道の西脇に心礎が残っている。花崗岩の巨石で上面に直径65pの円形の柱穴がある。この心礎は、現在の位置より約20mほど南から出土したと伝えられ、その付近に三重塔が建っていたと推定される。
本尊を安置した金堂の遺構は未確認であるが、講堂と塔の間に位置するものと考えられる。
講堂の東側では回廊跡と考えられる柱穴の列が見つかっていて、東西74m、南北100mの範囲に主要伽藍があったと考えている。回廊の外側でも寺院に関連すると考えられる建物跡が確認されているため、寺域はさらに広がるであろう。
出土する瓦の文様には、朝鮮半島の百済、高句麗、新羅など三国時代の影響が認められるものが多い。また、奈良の平城宮と同じ文様(同笵)の瓦も出土していて、中央政府とも何らかの関係があったものと思われる。
このように多彩な文化に彩られた椿市廃寺は、古代仏教文化を考える上で極めて重要な史跡である。(ルビ省略)
願光寺を後にした私は、そのまま県道を北西に進み、平尾台(国天然記念物)を目指ました。わずかの時間ではありましたものの眺めを楽しんだのですが、この旅日記としては全く関係ありませんので、先へ進むこととします。
平尾台を下り国道322号線に出た私は、4キロほど先にあります小倉南インターから九州自動車道に入り、一気に八女インターまで車を駆しらせたのですが、九州自動車道は、平成17年1月24日、旧津屋崎町と合併し今は福津市となっています旧福間町をかすめます。
ちょっと中途半端なのですが、この先を続けますと長くなりますので、今日は、この辺で止めることとします。したがって、明日も寄り道になります。
☆ ☆ ☆
今日は女性向けの商品になりますが、貴女だけのオーダーメイドコスメは如何でしょう。こちらで ↓ どうぞ。
