2009年01月06日

次の塔へ行く前に、もう一日、寄り道です

 五重塔、三重塔をめぐる旅は、寄り道が続いていますが、次の塔へ行く前に、もう一日、寄り道をします。

 時を確認しますと平成11年の旅とも言えない小さな旅の時ですが、4月10日、大分廃寺跡を見学した後、博多駅まで戻った私は、JR鹿児島本線で東福間駅まで行き、そこからタクシーで神興廃寺跡、というより神興神社へ向かいました。「福岡県の歴史散歩」には、「畦町(あぜまちしゅく)宿と神興(じんごう)神社」(ルビは括弧で表記)という小見出しがあり、「JR福間駅JRバス福丸行畦町下車五分」とあったうえ、次のように記されています。

 畦町宿は筑前27宿の一つ、南北に通じる町並には寄棟造中2階の家が少し遺っており宿場町の名残が感じられる。(中略)畦町宿から西へ30分ほど歩くと福間東中学校に隣接して神興神社がある。神社の境内に置かれている手洗石は、隣接丘陵上にあった寺院(神興廃寺)の塔心礎を移したもの。上面の枘穴は、径56・3p、深さ8・2pでかなり大きい。古瓦も奈良時代末から平安時代にかけてのものが出土しており、そのなかには「延喜11(911)年」と記されているものもある。(ルビ省略。以下、同書からの引用文について同じ)

 何かあるんですか、との運転手の質問に応えますと、「へぇー、あんな所に、そんなものがあるとは知らなかった」、という意味の土地の言葉が返ってきました。なるほど神社は、拡張されたと想われます道の傍らに忘れられたようにしてあり、私のような者でないかぎり、近隣の人が初詣に来るだけであろうと思われました。
 この廃寺について、岩井隆次著「日本の木造塔跡」には、「この神社は高い石段の上にあり、心礎はもとこの下の方にあったらしい」とあり、「心礎の大きさは一・八メートル×一・四メートル」とあって、更に「創建年代は奈良時代も古い方であろう」とあります。
 上で見ましたとおり、神興神社が福間東中学校に隣接してあるとのことであり、道路地図で見る限り東福間駅からの方が近かったので同駅からタクシーを利用したのですが、「博多まで戻るなら福間駅へ出た方が快速も停まるので便利で、料金も東福間駅へ戻るのと変わらない」と運転手が言いますので、帰りは福間駅まで行って貰いました。
 ここで時を平成14年2月1日へと移しますが、この時も福岡出張の機会を利用しまして、市営地下鉄箱崎線で箱崎宮前駅まで行き、筥崎宮を訪れました。筥崎宮について「福岡県の歴史散歩」には、次のように記されています。

 JR箱崎駅より西へ5分ほどのところに、日本三大八幡宮の一つ筥崎宮(祭神応神天皇・神功皇后・玉依姫命)がある。筥崎宮は923(延暦元)年筑前大分(嘉穂郡筑穂町)より、今の地に遷座された。(中略)
 一の鳥居(国重文)は藩主黒田長政が1609(慶長14)年に、楼門(国重文)は1594(文禄3)年に小早川隆景が、本殿・拝殿(ともに国重文)は1546(天文15)年に大内義隆が、それぞれ建立したものである。

 上に、筑前大分より今の地に遷座されたとありますが、私は訪れていませんものの、同書によれば、筑前大分駅から7分ぐらいの所に大分八幡宮があるといいます。
 筥崎宮には、塔もなければ塔跡もありませんが、楼門、本殿、拝殿などは見応えがありましたし、同書に、「境内には、楼門のそばに神木である筥松、謡曲『唐船』にちなんだ唐船塔、蒙古碇石(県文化)などがある」とあるものなども、興味をそそられるものでありました。唐船塔というのは、石塔です。
 そうと知っていて、この時期に訪れたわけではありませんが、寒牡丹が盛りで、私は牡丹の花が大好きですので、みごとな花を咲かせた寒牡丹を堪能することができましたのはラッキーでした。

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posted by 60歳半ばを過ぎた山ちゃんですよー at 18:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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